「老後不安」を減らす生き方……「老いを受け入れる」秘策

日米の高齢者医療を知る老年科医・大蔵暢さんに学ぶ

やまと在宅診療所大崎院長 大蔵暢さん

[プロフィール]
米国内科・老年医学専門医、日本内科学会認定医。聖路加国際病院を経て渡米し、高齢者医療を学ぶ。現在は宮城県大崎市で高齢者医療に携わる。
【病院サイト】https://osaki.yamatoclinic.org/about/


「老い」の現実は“右肩下がり”。でも……現実は変えられなくても、見方は変えられる。

先日、105歳でお亡くなりになった日野原重明さんが、「これからの高齢者医療に欠くことのできない、すばらしい教科書」とお薦めしていた本『「老年症候群」の診察室』(大蔵暢・著)。女優の大竹しのぶさんも自身のエッセイでこの本を紹介し、著者の大蔵さんに高齢の母親を診てもらったことを書き記しています。私たち取材班もこの本を読んで感銘を受け、「高齢者医療とは?」「超高齢社会を生きるとは?」を教えてもらうため、大蔵さんに取材依頼をしたのでした。

現在、大蔵さんは神奈川県と宮城県を行き来しながら、新たな高齢者医療の道を模索しています。私たちは激しい雨の降る夏のある日、新幹線に乗って宮城に向かいました。
やがて取材の時刻に。訪問診療を終えた大蔵さんが、息を切らせながら階段を駈け上がってきました。汗をぬぐいながら「遠いところをようこそ」とおっしゃるその笑顔には、目標に向かって真摯に取り組む、アスリートのような厳しさが見え隠れします。大蔵さんの1分1秒は、患者さん一人ひとりにとっての1分1秒なのだと言い聞かせて、インタビューをはじめました。

「高齢者について語るとき、まず最初にお話したいことがあります。それは、今までの日本の社会は、高齢者の人たちの声に真摯に耳を傾けてこなかったのではないか、ということです。お年寄りたちはみんな、昔から苦しんでいたわけですよ。でも昔は、老いの苦しみや死への苦しみを口に出して言うことがタブー視されていたから、本人たちも言いにくいし、社会にもそれを受け止める雰囲気がなかった。だから、年をとってからの『病気』は話題になっても、『精神面の問題』は話題にならなかった。でも、実際のところ、老いていくことって大変で、明るく語れるような話では本来ないと思うのです」

そう大蔵さんに言われてしまい、まさか雑誌の巻頭企画のタイトルが「『人生100年時代』の後半をもっと楽しむ極意」だということは、言えなくなってしまった私たち取材班……。
でも、余計な説明や言い訳をすると話が横道にそれてしまいそうなので、大蔵さんのお話をしっかり聞くことに専念することに――。

大蔵さんがある町で認知症をテーマに講演会をしたとき、最後の質疑応答で70代後半の奥様が席から立ちあがり、こんな話をしてくれたそうです。
「5年前から夫が認知症になりました。最近はできなくなることが一つひとつ増えてきましたが、夫ができなくなったことは、代わりに私がやっています。いま私は、夫のためにそれができることに幸せを感じています」

本誌の記事では、90代の重度の認知症の女性による「食器洗い」の話を紹介し、老いて生きていくうえで「貢献感」がいかに重要であるかをお伝えしました。この認知症の夫をもつ妻の幸せも、おそらく同様のものでしょう。自分以外の人の役に立っているという「生きがい」「やりがい」です。
この「貢献感」が、老いの苦しみを精神的にやわらげてくれる要因のひとつになるのでは、と大蔵さんは解説してくれました。

じつは、本誌で紹介した90代の重度の認知症の女性の話には、誌面で書ききれていない話があります。その高齢の女性と娘さんとの、それ以前の「母子関係」です。
重度の認知症になってしまったお母様は昔、とても強くしっかりした人だったそうです。でも90歳を過ぎて、どんどん弱くなっていく。それが悲しくて、その現実を認めたくなくて、「なんで、なんで~」と、娘たちは母親を叱咤激励していました。「お母さん、なんでこれができないの」「もっとご飯を食べないと」「どうして、これをしないの」……。
でも、大蔵さんがそのお母様を診察することになり、「みなさん、老いるというのは、これが自然なんですよ。これを幸せだと思ってください」というような話をいろいろしたら、娘さんたちの見方ががらりと変わったといいます。そしてその後、お母様の老いを理解しながら接することで、お母様自身も変わっていった。見方を変えて接することで、お母様の症状もよくなっていったというのです。

「老いの現実は、やはり『右肩下がり』。ただ、それをそのまま、そういう見方をし続けていたら不幸なままですよね。幸せというのは、あくまでも『主観』。現実は変えられなくても、見方は変えられます。そして、見方が変えられれば、現実がちょっとだけ変わることもあるのです」

じつは「老い」のことは、医者自身もまだよくわかっていないと大蔵さんは言います。
「老い」は病気ではないから、医者は関係ない――そんな考えで、今まで医療の世界では「老い」を誰も真剣に考えてこなかったのかもしれません。昔は60~70代で心臓病や脳卒中で死んでいったから必要なかったけれど、最近はもっとみんなが長生きするようになって、ようやく真剣に考えざるを得なくなった……。正しいかどうかはわかりませんが、そんなふうにも感じてしまいます。

「日本にも老年医学はありますが、その分野の先生方の多くは、認知症医だったり、高血圧医だったり、心臓病医だったり……要するに、高齢者に多い病気の専門家なのです。病気を診るのではなく、老いを診る――その姿勢が、これからの日本の高齢者医療にとって、ますます重要になってくると思っています」

老いるなかで幸福を感じるには社会のつながりが必要、「貢献感」が大事という話を書きましたが、「老い」を考えるうえで重要なことがもうひとつあります。「孤独」にどう打ち勝つかという問題です。

大蔵さんは、92歳くらいの囲碁が好きなおじいさんの話をしてくれました。
そのご老人は最初は碁会所に通っていたのですが、年を重ねるうちに次第にそれがきつくなって出かけられなくなりました。でも、今度はひとりで勉強して、閉じこもって、死ぬ直前まで自宅で囲碁をやり続けたといいます。

「つまり、そのご老人は、自分の世界を持って内なる喜びに浸り、孤独と向き合って打ち勝っていた。弱い人というのは、外に何かを求める。家族が来てくれないとか、イベントが欲しいとか、大リーグの中継をテレビで見られるようにしてほしいとか……。外にしか喜びがない人は、厳しいです。人間、結局、最後は外に出歩けなくなって亡くなる人が多いのですから。そのご老人が、幸せを感じていたかどうかはわかりませんが、孤独に打ち勝てていたのは確かだと思います」


認知症は、神様からの贈り物!?

「老い」「高齢者医療」を語るうえで忘れてはならないのは、認知症。取材の最後に、大蔵さんに認知症について尋ねてみると――。

「認知症の対策には、あまり興味はありません。体を動かす、頭を使う、人のために役立つことをする……いい老後を送るための努力が、認知症の予防になるはずだとは思います。ただ、そんなことよりも、もっと大事なことがあるように思っています」

高齢者医療の専門家である大蔵さんから、意外な言葉。いったい、どういうことかとさらに聞いてみると、驚くような話をしてくれました。

「ぼくが日々、高齢者と向き合っていて感じることは、みんな、とっても苦しんでいるということ。老いに悩み、死の恐怖を感じながら、毎日毎日。そして、そういう人がだいだい鬱になる。それでも耐えきれない人が、じつは認知症になってしまうのではないか。もちろん、まったくの仮説ですが、そんなふうに考えたりもします」

認知症とは、そういう苦しみから逃れるために存在するものなのではないか。忌み嫌われているようなところがあるけれど、認知症はある意味、神様からの贈り物でもある。あるところで大蔵さんがそのようなことを書いたら、あとで同業者からクレームが来たと言います。そんなことは書くべきでない、と。
でも、その仮説を許そうとしない人は、本当に真摯に高齢者と向き合っていないのではないかと、大蔵さんは言います。高齢者がどれだけ老いに苦しんでいるか、わかっていない。だから、認知症をつねに『病気』としてしか考えずに、どう治そうかという問題にしてしまうのではないか、と。

「老いとか死は、本当に苦しいことなのだと思います。だから僕は、認知症を予防したり治療したりすることを目指すのではなく、認知症になっても楽しく生活できる、死ぬまで楽しく老いていける――そう思える社会を作ることをめざすほうが、大切なんじゃないかと思うのです」

大蔵さんの仮説が正しいかどうかはさておき、その考え方にとても刺激を受けて帰路に就いた私たち取材班でした。


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